国内初の
醤油蔵元が作るウスターソース
かつて千葉県富津市に、全国にも名の知れた醤油蔵元がありました。1746年(延享3年)創業のカギサ醤油です。かつてはキッコーマンやヤマサ醤油などと並ぶ、国内を代表する醤油銘柄の一つでした。
幕末にイギリスから伝わったといわれるウスターソースは、明治期の終わり頃にもなると、富裕層が洋食文化を取り入れるのに合わせ本格的な輸入が始まります。そして大阪は越後屋の三ツ矢ソースなど、国産のウスターソースが少しずつ現れてくるなか、1923年(大正12年)、カギサ醤油もまたウスターソースを開発したのでした。これが、国内初の醤油蔵元が作るウスターソース「インディアンソース」でした。
宮内庁御用達ソース
そして地元のソウルソースに
爽やかでスパイシーなインディアンソースの味わいは、“天皇の料理番”として知られた料理人 秋山徳蔵の目に留まり、宮内庁御用達のウスターソースとして使わるなど、高い評価を得ます。
地元でも次第に評判となり、千葉県上総地方の“ソウルソース”となるまでに広がっていきます。とりわけ木更津や君津、富津では、ご当地焼きそば文化と屋台文化を支える象徴的存在となりました。
さらには「親、子ども、祖父母で囲む食卓にはいつもインディアンソースがあった」と言われるほど、家庭の定番ウスターソースとしても定着していきました。
ところが、幻のソースに…
しかし時は流れ、2003年(平成15年)にカギサ醤油は廃業してしまいます。それとともに、インディアンソースは市場から姿を消してしまったのです。そしていつしか、“幻のソース”と呼ばれるようになっていきます。
「幼い頃は、ソースといえばインディアンソースの、あのサラサラなウスターだった」
後味のよいあのさっぱりとした味わいは、昭和から平成にかけての街の匂いや祭りの香りと相まり、その追憶だけが継承されてきました。
しかし市場から消え20年が過ぎようというとき、その“幻のソース”ことインディアンソースを復刻させようという動きが、にわかに始まります。
そこには、さまざまな機縁が偶然のようにして折り重なり生まれた、物語がありました。
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